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長野式研究会






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85cmの魂

●85cmの魂 vol.1


エドガー・ケーシーとの出会い

以前、テレビで『知ってるつもり』という番組があり、1997年に「エドガー・ケーシー」と「ノストラダムス」を取り上げた時がありました。「ノストラダムス」はよく知られた予言者ですが、その時には、「エドガー・ケーシー」という名前は、聞いたことがあるという程度であり、「エドガー・ケーシー」についてもその類の人物だろう位の認識があるだけでした。番組の中で、エドガー・ケーシーは催眠中に様々なことを語り、治療について多くのリーディングを残したとありました。(リーディング=催眠中に語った内容を、秘書が傍らで書き留めたもの)

「治療をした…」とあったので、どの様な治療をしたのか興味を持ち、『永遠のエドガー・ケーシー』(トマス・サグルー著、光田秀訳、第2版:たま出版)を読んでみました。エドガー・ケーシーは、熱心なクリスチャンであり、職業は写真屋を営んでいましたが、医学に対しては全くの門外漢でした。
エドガー・ケーシー自身が声の出ない病気にかかり、どこの医者にかかっても治りませんでした。しかし、当時流行していた催眠術を試したらと勧められ、ケーシーが催眠状態になると自らがその治療法を指示し、治癒するという経験をしました。それが、エドガー・ケーシーが催眠を通じて特異な才能を開花した初めての出来事でした。
以来、多くの人が彼の治療(リーディングによる治療法の指示)を受けに来るようになりました。
上記の著書の中の一節に、その様な治療を述べた次のような内容がありました。

ある時、エドガー・ケーシーのもとに公立学校の前校長であるC・Hディートリック氏から電話があり、娘が長い間病気で苦しんでいるから治して欲しいとの依頼があった。
…彼女は今では5歳であったが、2歳の時にインフルエンザに罹って以来、精神の発育が止まってしまったのだ。彼女は、多くの専門医の所に連れて行かれたが、誰一人として彼女を治すことは出来なかった。それどころか、引きつけを止めることすら出来ず、その引きつけは益々ひどくなっていった。彼女は全くの精薄児であった。…(同著、P200−12行〜15行)


彼女について、エドガー・ケーシーのリーディングが取られ、催眠から醒めてみると、ディートリック夫人が…「あなたは、娘がインフルエンザに罹る2、3日前、馬車から降りる時に足を滑らせ、尾底骨を打ったと言われました。そしてそのインフルエンザの病原菌が背骨の中に入り、発作の原因となっているということでした。レインさんがいくつか整骨による調整をすれば治るということです」…(同著、P201−12行〜14行)と話した。
この後、レインによる整骨と、整骨が正しく行われているかを確認する「チェック・リーディング」を何度か取り、3ヶ月後には、あらゆる面で正常になった。


この文を読み、インフルエンザの病原菌が背骨に入ったかどうかは分かりませんが、まさに、岐子さんの言われる『尾骨を打って星を見た状態』となり、脳に異常をきたすというメカニズムと同様なことが起こったのではと考えました。
また、次のような内容も書かれていました。

…盲腸と扁桃腺は体内毒素の蓄積する場所であり、適切な経路によって毒素を蓄積したり捨てたりするのであるから、それらを取り去るのは良くないと言ったことがあるが、これなどもどうすれば証明出来るのだろう。これらの器官は、過剰な負担によって、本当に機能が破壊されてしまった時にのみ取り去るべきであり、また、そのような破壊は体のどこかの部分が不必要な物質を過剰に作っていることを示しているのだと、リーディングは言ったのだ。…(同著、P431−7行〜11行)

故長野潔先生は、扁桃はむやみに切除すべきではない。中年になって影響が出てくると言われました。それに、長野式治療法といえば、「扁桃病因論」を中心とした治療体系をたてています。
長野潔先生の著書:『鍼灸臨床新治療法の探究』のP124、「第2章 治験症例を中心にした鍼灸臨床備忘録・33」に《慢性扁桃炎と慢性虫垂炎の合併によって起こった諸症状》という項があります。
先生は、昔から、扁桃と盲腸(虫垂)に着目していました。

『永遠のエドガー・ケーシー』の以上の内容を読んで、長野先生や岐子さんの言われたことと非常に一致したことから、エドガー・ケーシーにのめり込んでいきました。鬱病と尾骨、扁桃や虫垂、これらは、他の治療家はほとんどと言っていいほど注目していなかった中での一致です。上記の文に出会ったときは、興奮しました。

エドガー・ケーシーは、リーディングで治療法を指示するのに、オステオパシーなどの手技療法を非常に多く薦めています。それも、特定の治療家の名前を挙げて、その治療家の治療を受けるように話しています。(その治療家を、エドガー・ケーシーは、住所や名前さえも全く知りませんでした。その治療家も、見知らぬ人から余りにも多くの紹介があるので、何年か後にケーシーに会いに行き、その心に触れ、ついにはケーシーの傍に移り住むことになりました。そして、ケーシーとその人の名前を冠した「ケーシー・ライリー・スクール」という手技療法の学校を建ててしまいました)
その当時はアメリカでは、鍼灸治療は全くと言っていい程受け入れられず、エドガー・ケーシーの近くに鍼灸師がいなかったので、治療にはオステオパシーや、身近で取り入れられる治療法を勧めたのでしょう。
今、エドガー・ケーシーが治療のリーディングを取ったならば、「…この人が健康を回復するには、ボストンに住む、松本岐子先生の鍼灸治療を受けるとよい…」と語るのではと想像しては楽しんでいます。それが、整骨で治せるならば、鍼灸でも治せるのは当然ではないでしょうか。

岐子さんも「私たち鍼灸師の手段は、鍼と灸なのだから、それで治さなければならない」というような事を言われています。また、その強い意志があるからこそ、次から次へと素晴らしい鍼灸の治療法を考え出すのかと思います。
エドガー・ケーシーに惹かれた理由の一つに、彼は晩年「自分が死んだ後には、決して自分を崇拝するようなことがないようにしなさい。私は、ただ神からの言葉を伝えただけなのだから…」というようなメッセージを残しています。
現在の宗教家と呼ばれている者のなかには、ことさらに自らの権威を誇示するような様式や態度、パフォーマンスなどを行っている場合があります。エドガー・ケーシーは、あくまで謙虚で常に自分の能力を人の幸福のために使おうとしているので、私は彼を尊敬し、霊的な師と仰いでいるのです。現在、彼の生家は、遺言の意思を尊重して朽ちるままになっています。

長野式治療法・キー子スタイルを広め、故長野潔先生が夢であった「鍼灸の地位向上」に微力ながら自らの能力を生かすことばかりでなく、この「エドガー・ケーシー」の素晴らしさをお伝えするのも、私のライフワークの一つです。
長野潔先生も、日蓮宗を信仰されて、朝晩に法華経を唱えていました。先生とコタツで向かい合い、先生が用意下さったミカンや甘味を味わいながら、鍼灸や医学の話しはもちろんのこと、哲学から宗教、和歌、人生など有意義なお話しを楽しくしみじみと語って下さいました。そこには、いつもバックボーンに、宗教的な暖かさと厳しさがありました。
鍼灸師の方々と話していると、エドガー・ケーシーのことを学んだ方が少なからずおられることに驚きます。
これからも、少しずつエドガー・ケーシーについてお話ししていきたいと思います。




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