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長野式研究会






時々日記
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85cmの魂

●85cmの魂 vol.2


AREツアー

 ※ECCJの会報41+42号に掲載された原稿の一部を改変してアップしました。
  この原稿も、更新が遅れに遅れたために、アップが今になってしまいました。
少々長い文ですが、お時間のある時にでもお読みいただければ、大変感謝です。

はじめに
5月の連休は、毎年、大掃除をします。
患者さんから勧められたのですが、暮れの大掃除は大変忙しい中で行わなければならず、水も冷たく、窓を開けての掃除は寒く、動きも鈍くなります。
5月の連休は、どこに行っても混雑・混雑…。旅費やホテルも高く、疲れるばかりです。
こんな時こそ、暖かい日差しの中、ゆっくりと大掃除…、とばかりここ数年過ごしてきました。
しかし、一昨年(2005年)5月1〜8日まで、日本エドガー・ケーシー・センター(ECCJ)により、エドガー・ケーシーの総本山、ヴァージニアビーチへの研修旅行が計画されました。
AREを訪れ、敬愛するエドガー・ケーシーの息吹に触れ、ケーシーについて色々と学び、鍼灸師として、直接、治療を受けることができるツアーに参加できることを心待ちにしていただけに、エドガー・ケーシーの信奉者たる私には、またとない、往かざるを得ない旅行でした。
(でも、まさか自分が、大混雑の中、旅行をすることになるとは…)

※ARE(Association for Research and Enlightenment)& ヴァージニアビーチ
エドガー・ケーシーの業績を顕彰し、リーディングのファイルを保管したり、ケーシー療法の実践や教育など、エドガー・ケーシーに関する啓蒙団体。
ケーシーが、自身のリーディングにより定め、晩年を過ごした霊的な場所がヴァージニアビーチ。

 10日以上治療院を休むために、その前後の予定が非常に厳しい状態になり、ツアー前は、仕事や雑務に振り回され、睡眠も充分でなく、体調不良のままツアー当日となってしまいました。
 持病の頭痛が少し感じられ、もし、ツアー途中で本格的な頭痛が発症したらと思うと、非常に不安でした。
 飛行機での慣れない長時間の移動でしたので、頭痛が頭痛の種となりながら、ホテルに着いてすぐにシャワーを浴び、簡単に鍼治療をして眠りにつきました。
 もちろん、大幅な時差のある場所への旅行ですから、「胃の気」、「攅竹」「眉中」、免疫力のアップに扁桃処置、それに興奮を抑えるために「足指間穴」です。
 全て、丁寧に単刺雀啄を行いました。

※患者さんで、海外旅行をする方には、「胃の気」や「曲池」「手三里」などに円皮鍼を保定し、「攅竹」「眉中」、「足指間穴」を爪でマッサージするように指導します。また、できる方には、灸点をおろし、温灸を餞別として差し上げ、旅行中してもらいます。
長く鍼灸治療を続けている方で、長期の旅行に出かけるときには、透熱灸をされることもあります。


ヴァージニアビーチの日の出
 波の音が聞こえ、浜辺にあるライトから、すぐ前が海辺であることは分かりましたが、夜遅く到着したために、方角や外の景色がよく分かりませんでした。
 早朝、ボーッとしながら目覚め、カーテンを開けると、水平線からまさに太陽が昇る所でした。
しばし、その自然の美しさに見とれ、気付くと昨夜までの頭痛も消え、念願のヴァージニア・ビーチに来られたことを感謝しました。
毎朝、この日の出と共に起床です。何と健康的な!

 昨晩、ホテルに到着前、途中のスーパーで、色々と買い出しをしましたが、レストランで朝食を取るし、昼食は毎日あるし、夕食はみんなと一緒に食べようと思っていたので、少しノドが乾いていたために小さな牛乳1本を買ったに留めました。
 (アメリカのスーパーの品揃えの凄さ!飲み物はポリタンクの半分くらいのがずらりと並び、肉は、薄く切ってトレー入りが普通と思っていましたが、塊で売られ、私には、ピザはこれ一つで1週間は食べられるという位の大きさ。小さい食品は、牛乳くらいきりありませんでした)
 牛乳1本の私を見て、出迎えに来たAREの講師は、それきり買わないのか?と驚いていました。
(ケーシー療法をする講師の腹が出ているのが、私としては不満でしたが…)

※毎朝、ホテルからAREまでの道すがら、相当というより、非常に太っている人がジョギングしている姿を見ました。岐子先生が、「半数以上に肥満処置をしなければならない」と言われる現実を実感しました。いずれ、日本も…。

前日、同行の皆さんは、朝食はレストランで取ると言っていたので、皆さんと会えると思いルンルンとレストランに入ると、ツアーの方は誰もいない!
初めて外国のレストランで一人朝食を取るはめになり、大変不安で、それに、メニューとウエイトレスの英語を必死に理解するのに精一杯。味わう余裕もありませんでした。
(後で聞いたら、他の皆さんは、前日の買い出しで得た食料を食べたのだそうです。嘘つき!)
 隣に日本人らしきご夫妻が食事を取られていて、奥様がお声をかけて下さいました。
 別の飛行機で参加されたY医師ご夫妻でした。
Y先生は、医師でありながら鍼灸に興味を持たれ、『医道の日本』誌にも投稿されておられるので、先生のお名前は存じ上げていました。
エドガー・ケーシーは、「偶然に出会う人はほとんどいない。どの出会いも何らかの経験の機会である」と言われましたが、Y先生との出会いも偶然とは思えない嬉しい出来事であり、ツアーでは、以後、Y先生ご夫妻とは、本当に親しくしていただきました。

※このことは、2005年『医道の日本』誌9月号に、Y先生が『2005年度ARE研修ツアーに参加して』と題して原稿を書かれています。


AREとケーシー・ライリースクール

充実したセミナー

ケーシーがリーディングを取ったソファー
毎日のセミナーは、朝8時から約1時間 ‘ケーシーの健康体操’で始まりました。
小鳥のさえずりが聞こえ、リスの走り回る裏庭での体操は、非常に清々しく、日本でのあわただしい生活とは別世界でした。
朝9時から夕方5時まで、ケーシーに関するセミナーが、ビッシリ続きました。
セミナーは、まず、オリエンテーションとAREの施設見学で始まりました。
エドガー・ケーシーがリーディングを取ったソファーがあり、直接座ったり、横になったりすることができたので、参加者の皆さんも代わる代わるケーシーと同じように横たわりました。
エドガー・ケーシーが触れていたこの布地に、私も触れているかと思うと、大感激!でした。
 恐らく、通常は、ガラスのケースにでも入っているか、「お手を触れないように」との注意書きがあり、権威主義的な扱いをするでしょうが、この様な所にも、ケーシーに触れて貰いたい、ケーシーを身近に感じて欲しいというようなAREの姿勢が表れているような気がします。

以後の講義も、セミナー全てが魅力ある内容であり、いつもなら必ず出る居眠りもほとんどなく、授業の合間のコーヒーブレイクには、アーモンドやドライフルーツなどケーシーの薦めた食事や飲み物が充分に供され、まさに、ケーシー漬けの1日があっという間に過ぎていきました。
また、スケジュールにはセミナーばかりでなく、様々なイベントが組み込まれていて、頭を使い過ぎて疲れを感じる頃には、楽しいことが必ず用意されていました。
時には、昼食後、1時間ほど、ARE近くの湖畔での散歩と森林浴がありました。
自然の中で暖かな日差しを浴びながら、三々五々、隣になった方々と、色々な話題に花を咲かせ、ノンビリと散策しました。
セミナーの合間には、希望する治療が受けられ、私は、カイロプラクティック、オイルマッサージ、オステオパシー、エネルギー治療を受けました。
「85pの魂」のVol.1でも書きました「ケーシー・ライリー・マッサージスクール」の中にある治療室で、治療を受けました。
オイルマッサージ、オステオパシーは、4畳半ほどの個室で行われ、照度を落とした灯りに、お香が漂い、ヨガを思わせる音楽がかかり、気持ちよく、途中から寝てしまいました。
部屋の雰囲気は、私の治療にも非常に参考になりました。
カイロプラクティックは、少し広い、窓から光が漏れる部屋で行われました。
事前に、「カイロプラクティックの医師にはチップはいらない。それ以外の治療には。1割程度のチップを渡すように」と指示されました。
 きちんと、医師としての地位を確立しているカイロプラクティックには、チップは必要ないということらしいのですが、果たして、鍼灸師はどちらに入るのでしょうか?
カイロプラクティック治療中に、私の足首がよく曲がるのを見て、「アメリカで、これほど自由に足首がまわる人はいない。非常に珍しい」と言われました。
最近の日本の若者に、和式便器に座れない人が多く見られるそうです。足首を、グッと曲げる生活が無くなったのでしょう。
昔の人は、生活の中に、そのような場面が非常に多かったように思われます。
果たして、現状は良い方に向かっているのでしょうか、悪い方に進んでいくのでしょうか。
 また、私の履いていた五本指の靴下を見て、笑っていました。
 ヤンキースの松井も履いている…と言ったのですが、カイロプラクターだったら、理解して貰いたかったと思います。

※私の大好きな女優のジュリー・ドレフェスさんが、母国のフランスに帰るときの土産が、この五本指の靴下という記事が、最近の新聞に出ていました。ドレフェスさんを更に好きになりました。

 カイロプラクティックの治療後、脊椎の矯正はできたのでしょうが、何ともいえない肩凝りが右側に発症しました。
 不自然な姿勢なりに保たれていた脊柱が矯正されたために、他に影響が出てきたようなかんじでした。
久しぶりに頭を酷使した後には、素晴らしい夕食が待っていました。
2日目の夜は、広い牧場の会長宅で野外パーティがあり、蕎麦まで供された心尽くしのおもてなしに、一同感激!
日が暮れて寒さを感じる頃には、部屋で美味しいケーキに舌鼓をうち、いかにも、アメリカらしい雰囲気のパーティを満喫しました。
4日目の夜はディナークルーズ。入江を航行中には、点在する広い別荘が見え、贅沢な雰囲気を味わいました。
ホテルのレストランで日本エドガー・ケーシーが・センターの会長の光田先生を囲み、生のギター演奏を聴きながら遅くまで語ったり、最後の夜は、日本のファミリーレストランのようなところで、AREの皆さんと夕食を共にしたり、毎日、朝から晩まで、体操に、講義に、コーヒーブレイクに、食事に…と、非常に充実したセミナーでした。

思い出の中の思い出
4日目の午後は自由行動となり、ショッピングや観光に出かけるコースも魅力的でしたが、ゆっくりAREやその周辺を楽しむことにしました。
今回のツアーの間、AREのボランティアとして色々とお世話下さった日本人女性が、AREに残った方々数名を、AREの道を隔てた所にあるアトランティック大学と、ケイシー・ライリー・マッサージスクールに連れて行ってくださいました。
     ※教室風景をご覧下さい。ベッドが何とカラフルでしょう。如何にもアメリカらしい!


ケーシー・ライリー・マッサージスクールの教室風景
ごくごく普通の民家が大学の一部であり、事務所や教授の部屋、小さなミーティングルームなどを案内して頂きました。
日本では、大学設置の国の基準が厳しく、とても、この様な大学は考えられませんが、学ぶ人の都合を最優先するアメリカの懐の深さに触れました。
ツアー参加者の若い女性が、早速入学手続きをしました。また、同じく若い女性が、ケイシー・ライリースクールの入学を希望していると聞いて、若かったら、私もアトランティック大学に入学し、ケイシー・ライリースクールで学んだであろうに、と残念に思いましたが、……来世の楽しみに取っておきましょう。

AREに着いて一番感激したのは、瞑想室の素晴らしさでした。
眼前には、大きな窓から大西洋が広がり、そのベランダには小さな庭園が造られ、お香の薫りがほのかに漂い、全くの静寂の中で20名ほどの方が瞑想していました。
ケーシーも、瞑想と祈りは最も重要視し、奨励していました。
自由行動の時、丁度傍らにツアーのメンバーの青年がいらっしゃったので、瞑想室へ行こうとお誘いしました。
僅かな時間でしたが、青年と二人だけで、瞑想室で祈り、瞑想できたことは、忘れられない思い出の一つとなりました。
このような瞑想室がある我が家を、浜辺に、あるいは、湖畔にでも建てられれば…。


瞑想室と瞑想室からの眺め

AREからホテルへの帰りには、エネルギーがあるというヴァージニア・ビーチの砂浜を、少し強い風の中、裸足でエネルギーを吸収しながら、青年とホテルまで歩きました。
各セミナーは、いずれも素晴らしい内容でしたが、最後の日のシドニーさんという作家の講演には、感動し、思わず、何度か涙しました。
(この方は、最初、エドガー・ケーシーについて書くことを依頼されたときに、ケーシーの業績を非常に疑っていました)
ケーシーについて書くために、ケーシーの足跡をたどった思い出を語って下さいました。
ケーシーは、あるリーディングを受けた少女を、天使ミカエルの生まれ変わりであり、非常に霊的な能力があることを指摘し、大切に育てるように伝えましたが、母親が金儲けに目がくらみ、その少女を台無しにしてしまったそうです。
シドニーさんが探し当てたときには、トレーラーで貧しい暮らしをしていたということでした。
 シドニーさんは、その取材を思い出し、それまで精神病院にも入院し、霊的な才能を充分発揮することができなかった女性の、その苦しかった人生を語る途中で、感極まって沈黙し、涙を流しました。
ケーシーが田舎町に生まれ育ったのは、非常に意義のあることであり、小さな田舎町だからこそ、周囲の人々がケーシーを守ることが出来、ミカエルの生まれ変わりと言われた少女のように翻弄されることなく成長できたのだろうと、お話し下さいました。
 恐らく、現在、ケーシーが生きていたら、目新しいものを探し求めているマスコミの格好の餌食となり、その才能を潰されていたと思われます。
 神は、時代といい、場所といい、ケーシーに絶妙な環境を与え、大切に育てられたために、このような偉大な業績が残され、人類にまたとない恵みを下さったのかと思います。
 この講演をはじめ、セミナーのDVDが、ECCJで販売されています。お求めになって、是非、聞いて頂きたいと思います。

※ECCJ=Edgar Cayce Center in Japan (日本エドガー・ケーシーセンター)
 AREの日本支部です。 URL 
http://www.eccj.ne.jp
 是非、サイトをご覧になって下さい。

感謝
一週間は、本当にあっという間でした。ハードスケジュールであったにも拘わらず、最初から最後まで、飽きることのない興味溢れる素晴らしいツアーでした。
移動を除けば、実際にAREでのセミナーは5日間だけでしたが、思い出をちょっと列記しても、如何に多くの内容と中味の非常に濃い、実り多い凄いツアーだったことが、お分かり頂けたかと思います。
それに、昼食は和食という細かいところまでの気配り!
 今でも、時々思い出しては、AREツアーが本当にあったのだろうかと思われるほど、夢のような楽しい経験でした。
ツアーには、思ったより多くの若い方が参加され、大変刺激を受けました。若い方が、ケーシーを知り、真摯に学ばれるのに触れると、日本の未来も捨てたものではないのではと感じます。
 セミナー途中から、隣同士の方と『ハグ』をさせられ、最初はとまどい、気恥ずかしい感じでしたが、成田空港で、最後に『ハグ』をしたときには、自然に抱きしめることができ、素晴らしい仲間との別れが、寂しかったです。

ECCJでは、これから4年ごとにAREツアーを行うそうです。
もし、それが実現すれば、次回の時には、私も還暦となります。
AREツアーに参加することで、新たなエネルギーが生まれます。
体力と脳力を鍛え、少しでも、英語の能力を付けておかなければと思います。
(ケーシーの関連グッズを販売しているAREの店で、ホロスコープによる過去生を見てもらいました。今回の前の生は、多分、フロンティア時代のアメリカで、ダニエル・ブーンがいた様な、テキサスかテネシー、あるいはケンタッキーに住んでいたのでは、とありました。それにしては、英語が理解できない!)
 エドガー・ケーシーに関心のある鍼灸師の皆さん、次回のAREツアーには、是非、ご一緒に参加しませんか。

  ◇今年の8月に、ECCJでは、エジプトツアーがありました。
エジプトは、エドガー・ケーシーに非常に関係が深く、エドガー・ケーシーを深く尊敬する私にとって、是非、行きたいところでしたが、残念ながら、ボツ!
   大ピラミッドの貸し切りが許可され、1時間、玄室で瞑想したそうです。
   エジプトツアーに行けなかった。悔恨の極み!!!

エドガー・ケーシー「珠玉の言葉」より
  今、理解できないことがあるからといって、それで心を疲れさせてはいけない。
  いつか、あなたにも理解できる日がくるのだから。そのことを信じよ。

※エドガー・ケーシーが、リーディングの中で述べた言葉の中には、人生の琴線に触れる素晴らしい、まさに、「珠玉の言葉」が満載されています。折に触れ、書き添えたいと思います。
上記の「珠玉の言葉」は、様々なトラブルや困難に直面したときに、心の支えになったものです。その時は、失望に打ちのめされることがありますが、後で振り返ると、自分の人生にとって、必要な出来事であり、そのことが、自分を成長させてくれたと思えることが多々ありました。現在も、多くの理解できない困難を抱えていますが、いつかはこんな日が来るかと思っています。
(また、逆に何でも理解できたら、つまらないと思います。「人生不可解」と言って死を選んだ人もいましたが…)
今生では理解できなくも、来生では、理解できるようになるかも知れません。




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